証券ビュー

来年の今頃様変わり インフレを仮説に全値戻し倍返し (2017.11.10)

前場急反発。後場乱高下。引け持ち直した。10日SQを巡るポジション調整とみられ、昼休みに日経平均先物が2万3430円をつけた直後、3200円に反落し売り買い交錯。

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「鹿小屋の火にさし向くや庵の窓」 丈草 (2017.11.09)

昭和の風林史(昭和五四年十一月二日掲載分)
激動期時代の最高のゲームだが
商品相場の投機は、不確実性の時代の、
最も高度なゲームである。
現代社会に適しているのだが。
「鹿小屋の火にさし向くや庵の窓 丈草」

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すっかり米国にはまる 理想と現実のギャップ埋める市場 (2017.11.09)

利食いをこなし下げ渋り。日経平均小反落。まちまちで引けた。主力の決算発表が一巡し、高値警戒感と先高感が交錯。総論売りにひきかえ、各論買いが場味を引き締めた。

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「猿酒や深山紅葉の頬のほてり」 袖子 (2017.11.08)

昭和の風林史(昭和五四年十一月一日掲載分) 
閑な事ぐらい 別条ないのである
相場が少々閑なぐらいで
泣きごとを言っているようでは心もとない。
静あれば必らず動あり
「猿酒や深山紅葉の頬のほてり 袖子」
商品取引所が再開されて十年くらいのあいだは、
市場にもよるが、相場が動かず、
商いも実に細々の時期があったが、
それでも仲買人(現在の取引員)は
経営に信念を持っていた。
当時は、大衆店の事を場違い筋と呼び、
当業者主導の市場だった。
場違い筋の主たる顧客は
戦前の三品相場や米相場を張った経験のある人や、
証券筋といわれる株式相場のマニアが
商品相場に手を出していた。
証券会社が
商品仲買の兼営が出来た時代だから、
証券会社の店頭に、
証券と商品の黒板が並んでいた。
営業といっても、
ズブの素人に相場を張らせることはなく、
むしろ素人が相場をしたいと言うと、
しないほうがよい―と止められたものだ。
当時は、外交員も営業所も出張所も
今みたいな難しい規制がなく、
実におおらかなものであった。
補償基金協会が発行している「きずな」10月号に、
武田商事の武田恒社長が随筆で
戦前のことを書かれているが、
われわれの知っている時代とは、
また別の、もっと自由な時代で、
それでいて事故も紛議もなかった。
相場が動かず、閑な市場の、
取引員の店頭を見ていると、
二十年前、二十五年前の閑散低迷を想い出すが、
当時と今では経費のかかりようが違う。
それにしても、わが業界は
飛ぶ鳥落すような黄金時代があった。
その頃、大儲けしたお金を、
なにかの形で取引員会社が
保存しておけばよかったと思う。
人材を養成するとか、
社会に通用する信用を確保するとか、
立派な商品会館を建てておくとか。
その頃は、幾らでも人は集まり、
お金は儲かると思っていたから、
随分思い切って使ったものだ。
しかし今となってみると、
せいぜい土地を買っていた分ぐらいだろうか、
現在値打ちが出ているのは。
まあこれも、
相場の世界で生きている人間だから、
太く短くて、ちょっとだけ、
いい思いをさせてもらったと、
あきらめればよいが、
商取業界の今後を
背負っていく人たちにとって、
先達の残してくれたものは
重たい十字架だけというのでは、
余りにも気の毒だ。
美田は残さずとも、
将来に展望を持てる業界にしておくのが、
われわれの時代における責任ではないか
と思うのである。
相場が少々閑なぐらい、たいした事ではない。
●編集部註
 後悔、先に立たず―。
 面白いのは、
平成に入っても
同じようなコメントがあったという事。
途中、何度か儲かった時期があっただろうに…。
 ただ一番必要なのは、
リスクをとる事、
儲ける事が悪であるような社会の風潮を
払拭する作業であったかも知れない。

ピークアウトの前兆 来週以降半値押しで仕込むのも乙 (2017.11.08)

 主力中心に続伸し前引け一段高。後場さらに買われ日経平均大幅高。中陽線で引けた。前日NYダウ9ドル高(3日連続最高値更新)、NY原油先物2年4ヵ月振り高値(1バレル57.35ドル)を受け、寄り後の小幅円高を吸収。

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