証券ビュー

憤慨の志 なお存ず (2016.12.09)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十日掲載分)
恭順なれども 功名誰か論ぜん
小豆の強気は恭順している。
しかし憤慨の志はなお存ず。
人生意気に感ず。功名誰か論ぜん。
「北国の北のくらさや冬の海 月尚」
一茶の句ではないが、小豆相場は
〝ともかくもあなたまかせの年の暮〟―といった風情である。
〝ゆく年のこぞりともせぬ相場かな〟。
17日農林省が小豆等の収穫高を発表する。
前回発表の数字より多少増えるか、
前回並みだろう―と強気している人でも
この数字に期待はしていない。
それは、仮りに(減少を)期待して、
肩すかしを食う事を恐れるからだ。
年末ギリギリになって
肩すかしのショックを受けるのは避けたいという、
しおたれた気持ちがある。
それほど強気筋は今年の相場で疲れきっている。
もう、心のいた手を受けるのは嫌だ―と。
出来得れば、そっと越年したい。
人は〝絶望〟という樫の棒で何回も頭や腰を打たれると
〝希望〟というものを持とうとしなくなる。
即ち絶望の淵に、しゃがみこんでしまう。
いま、一年をふり返ってみると、
一月の石油危機の反動安で脳天を新ポからカチ割られた。
次に巨大な仕手筋の活躍に期待したが、
その仕手は総需要抑制というお札の前に
惨(さん)と散った。
そして海外の雑穀市場の高騰や、
異常気象下の天候相場に夢をつないだ。
それは鳥羽、伏見の戦いに破れて
落ちて行く新撰組の心にも似ていた。
しかし、最後に期待した天候は
霜一発の希望も消えて収穫発表で、とどめを刺された。
その間、海外の砂糖相場の暴騰。
アメリカ・ピービーンズの相場崩落と天は、
あくまで背を向け通した。
いま、小豆の強気は恭順しながらも
昭和50年になにかを托そうとしている。
しかし、精神的にも資力的にも随分疲れきっている。
天曇り雨湿るとき
声の啾啾たるを君見ずや。
百年多病(へい)独り台に登る。
艱難はなはだ恨む繁霜の鬢(びん)
潦倒新たにとどむ濁酒の盃。

しかし、相場の世界に身を置く者は
「縦横の計(はかりごと)は
就らざれども慷概の志は猶存す」。
「人生意気に感ず功名誰か復た論ぜん」―。

然り。
繁霜の鬢なれども人生意気に感ず。功名また誰か論ぜん―だ。
●編集部註
行間が暗い。実際に相場が暗いのだが、
それはこの年の世相を反映しているのかもしれない。
昭和四九年に流行った歌が
「昭和枯れすゝき」「傷だらけのローラ」
「精霊流し」「私は泣いてます」。

流行った映画が「砂の器」「青春の蹉跌」。
ベストセラーが「ノストラダムスの大予言」である。
【昭和四九年十二月九日小豆五月限
大阪一万七一五〇円・九〇円安/
東京一万七〇九〇円・八〇円安】

来週クライマックス 旧ソ連同様米国も11月9日旗揚げ (2016.12.09)

棚ぼたの続伸。日経平均高値引け。活気に包まれた。前日NYダウ297ドル高を好感。1ドル113円台の円高にめげず利食いを吸収。米国と同様引け盛り上がった。

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歳晩に感あり 頼りない足取り (2016.12.08)

昭和の風林史(昭和四九年十二月六日掲載分)
歳晩に感あり 物不足から一年
気乗り薄ながらなにか底堅い小豆相場。
相場の変わり目がついそこまできているように思う。
昨日は納めの水天宮。
いよいよ師走のカレンダーも駆け足ですぎてゆく。
昨今のように日暮れが早いと
特に一日、一日があっという間にすぎ、
夕方になると予定した仕事が片付くどころか
明日に溜まる方が多い。
早いもので、物価狂乱と物不足で
てんやわんやであった去年の暮れからもう一年たった。
去年の今ごろの弊紙を見ると
やや薄鼡色のツルツルの紙である。
あのころは紙が思うように入手できず、
ある紙はなんでも使わねばならなかった。
この紙も輸入物であったし、
新年号も用紙の確保や表紙をどうするかで
東奔西走したものだ。
百人一首に
「憂(う)しと見し世ぞ今は恋しき」というのがあるが、
あんな無茶苦茶の時期でも一年過ぎると何かと想い出になる。
まして相場に関係があったり、
自分で相場をやっていた人にとって
一年前の昨日、今日の印象は強いはず。
たとえば、去年の十二月四日生糸は全限ストップ高。
五日は弊紙の相場欄の銘柄は
全部前日比高を示す白三角ばかり。
こんなことは一年のうちに二~三回もあるかないかだ。
そして、小豆、手亡、ゴム、綿糸、毛糸、生糸、乾繭、粗糖、
いうなれば全銘柄の一部または全部がストップ高を示現した。
その日の商品欄の方針は
「理屈を言う前に買え―熱狂ムード。
世相を映すS高の狂い咲き」と。
相場は人間の欲望を中心として、
世の中のあらゆる微妙な動きの終結したものだが、
いかにも当時の世相を
そのままに反映していたといえるだろう。
それから一年、経済界はうってかわって
金融引き締めと不況との中に呻吟し喘いでいる。
変われば変わるものである。
有為転変とはまさしくこのことか。
さて穀物相場だが、
他のものがようやく底入れ気分が漂ってきているのに
三年連続豊作、豆につきものの砂糖の異常高
といったことから、はなはだ頼りない足取りである。
下にもゆかぬが、
さりとて高くなる自信もないという風情。
年間最大の需要期だというのに
在庫発表も材料になりにくい。
しかし相場は次第に変わり目にきていると思われる。
ここは気長に強気を通すところだ。
●編集部註
 平成の現在、このような歳末感はまだない。
 この頃にあった水天宮はもうない。
 耐震問題で立て替えられ、同じ場所に、
きらびやかでひと回り大きな建物がどんと鎮座している。
【昭和四九年十二月五日小豆五月限
大阪一万七二三〇円・二七〇円安/
東京一万七二五〇円・一六〇円安】

申酉騒ぐに違いない 6月安値叩いた期日が12月22日 (2016.12.08)

利食いこなし続伸。値嵩中心に確り。引け一段高になった。NYダウ連日最高値更新、1ドル114円台の円安などによるもの。日経平均のボラティリティー指数が17ポイント台に落ち、10月28日のボトムを下回っている。

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大局を掴もう 来年は大相場だ (2016.12.07)

昭和の風林史(昭和四九年十二月五日掲載分)
大局を掴もう 来年は大相場だ
目先目先を考えるなといっても
毎節相場を聞いていると、ついそうなる。
相場から離れる事も必要。
「水増て※(いさざ)とれぬ日続きけり 円嶺」※魚へんに少
相場記者を長年やってきて、
たったひとつの事を悟ったような気がする。
筆者は昔、証券記者だった。
その後、もっぱら小豆専門である。
小豆相場は大阪に穀取が再開された時、
御祝儀の玉を出せというので、
わけもわからず手を出して以来、随分苦労してきた。
今でも小豆、手亡の各限別の日足と節足は引いている。
一時、ケイ線に熱中して、いろいろな線に凝ったものである。
なにを悟ったかといえば、
目先を追ったり、目先ばかり考えていては
相場で産をなす事は出来ないという事である。
広島の西田三郎商店に渋谷孝男氏という支店長がいる。
お酒の好きな方で剣道の達人だと聞いている。
この人が前々から広島で一杯やろうと
おさそいを受けているが、なかなか行けない。
新聞の配達の事でお世話になっているので
筆者のかわりに当社から他の人がお伺いした。
その時
『あの方は今年の手亡で一億円ばかり儲けました』
と教えられたそうだ。
西田三郎商店には各地の支店に有能な人物が配置されている。
そしてその人間性にひかれて安定したお客さんが多い。
そして、このように儲けている。
西田の真鍋社長は渋くて新聞の広告料など雀の涙といいたいが
蚊の涙ほどしか出さないが、
西田の店をこのように誉めるのは
なにも金銭にかかわりがない。
近ごろとみにオナシスみたいな風貌に
なってきた真鍋氏にしても真面目だ。
だから筆者は贔屓にする。
話が横道にそれたが、
今年の相場で今の店をふっ飛ばした相場師や
取引員経営者を多く見てきた筆者は
急に広島の西田三郎商店に行ってみたくなった。
相場で大儲けするには、ひとつは運がなければ駄目である。
相場記者の経験でそのことは嫌というほど見てきている。
しかし、運だけでは億単位の利益は手に出来ない。
そこに〝相場道〟というものがある。
〝相場道〟とはなにか。
相場には〝相場学〟と〝相場術〟と〝相場道〟がある。
学や術では時点、時点では儲かったりするが
結果はマイナスである。
相場道―この事を考えたい。
●編集部注
いまどき〝三角大福中〟といっても、
何の事やら判らぬ人が多いと思う。
城山三郎氏の「賢人たちの世」を読むと良い。
田中政権が倒れ、次期首相選びは難航を極めた。
最終的に自民党副総裁、椎名悦三郎が三木武夫を指名。
椎名裁定」である。
【昭和四九年十二月四日小豆五月限大阪一万七五〇〇円・三三〇円高/東京一万七四一〇円・二九〇円高】