証券ビュー

物無に帰さん 答うる所知らず (2016.12.19)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十七日掲載分)
物無に帰さん 答うる所知らず
他商品相場は厄を済ませたが小豆はいま
ギリギリに来てそれをやっているみたいだ。
「雪染めて万両の紅あらはるる 宗石」
しなければならない事が
山ほどあるのに体調を崩し、
疲労と風邪で寝込んでしまって、
これが無理したあとのトガメというもので、
その間、相場は13日の金曜から
チンタラ、チンタラ悪化しだすし、
14日義士祭は新安値、16日月曜はさらに軟化。
カレンダーのほうは
一日一日と斜めに線を入れて消していくと、
いよいよ気は焦る。
なんで一体あせらにゃならんのか。
年末だからとて他の月と別に変わりはせぬのに、
正月なんか来なきゃいいのに。
腹を立てても手形の期日と借金取りと
現行の締め切りはきちんと来るから難儀なことだ。
しかし考えてみれば暗澹、絶望の境を楽しむという。
ゆとりがないわけでもない。
死地に活を求むという言葉がある。
下げる相場は止まるところまで下げる。
そう思えば、なんということもない。
木鶏と木猫である。
昔、隣郷に猫あり。終日眠り居て気勢なし。
木にて作りたる猫の如し。
人その鼡を取りたるを見ず。
然れども彼の猫の至るところ近辺に鼡なし。
所を替えても亦然り。我行きて其故を問う。
彼答えず。四度問えども四度答えず。
答えずにはあらず。
答うるところを知らざるなり。
是を以って知る。知る者は言わず。
云うものは知らざることを。
彼の猫は己を忘れ物を忘れて物無に帰す。
我亦彼に及ばざること遠し。

年末のスケジュールをどうしようとか、
期日の来る手形をどうしよう、
頼まれた原稿や新年号の原稿を
どうしようなどと考えないで、
もとより相場の高下など眼中になく、
われ対処するところを知らず、
すべてを忘れて我れ物無に帰すれば、
年の瀬も、へったくれもない。
人間は、終始自分に対する他人の意思、
勘定、批評などに左右される。
誰が自分をどう言ったとか、
どう思っているかなどを常に気にしている。
この事を逆にすればよいのである。
彼が自分をどう思っているか?ではなく、
自分が彼をどう思っているか―と。
自信と定見を持てば
人の顔色など見て暮らすことはなくなろう。
きょうは実収高の発表。
これで一段安に叩かれれば
四十九(死中九)年のアクが抜けよう。
●編集部註
 当時の東京小豆市場のチャートを見てみる。
 一万七〇〇〇円を挟んだのたくり相場は
三分の一ほどしか経過してない。
弛緩状態はまだまだ続く。
【昭和四九年十二月十六日小豆五月限
一万六二〇〇円・二九〇円安/
東京一万六一九〇円・三二〇円安】

定着した買いパニック 売り方が踏むまで終わらない相場 (2016.12.19)

前週末も続伸。日経平均9連騰。買いパニックが定着した。売り方の買い戻しによるもので、なお外資の玉推定4兆円以上が対象。個人、信託銀もやれやれの売りでお茶を濁している。前週のクライマックス拍子抜け。

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越すに越されぬ年末 来年に期待 (2016.12.16)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十六日掲載分)
年内無相場か 暗澹とした年末
明日の農林省発表で大きく売られれば
よい買い場になるのだが、どれだけ下げるか。
下値も乏しい。
昨日から年賀郵便の特別取り扱いが始まった。
明日は浅草観音年の市、奈良若宮おん祭、
十八日は納めの観音。
つぎからつきとせきたてられそうに
年の瀬の流れが早くなってゆく。
毎年、年賀葉書は売り出しと同時に売り切れ、
買うのに並んだり、ウラから局員に頼んで
わけてもらったりで手に入れるのに困るのだが、
今年はまだどこにでも売っている。
物の売れ行きの極端に悪い不況の年の暮れを
象徴しているようである。
デパートも派手に歳末商戦を繰りひろげていて
昨日の日曜あたりが、
おそらく歳暮売り出しのピークとなったことと思われるが、
どうも庶民の財布の紐は堅くシブい様子である。
ターミナルのデパートは弊店間際まで
帰る途中の買い物客で混雑しているが
都心部のデパートは営業時間を延長しても
夕方すぎるとガラガラの状態。
タクシーも値上げの影響をモロにかぶって
寒空にエンエンと客待ちの列をなしている。
去年の年末の暗さはネオンが消えた暗さであった。
今年の暗さは不景気による暗さである。
あれほど天井しらずに高騰しつづけた外糖相場も
僅かな間に上げ幅の三分の一押しとなり、
ロイター商品指数も今年の最低値にまで沈下してしまった。
世界的に去年の狂乱インフレのトガメ、反動が顕著になり、
商品相場も全く元気がなくなった。
あに穀物のみならんやである。
その穀物相場だが、小豆は東京山梨商事の現物を
背景とした売り物増で前週はジリ安を続け、
十四日には全限新安値に転落、
手亡もウインターピースなどの年末換金売り相場から、
これもほとんど新安値をつける始末である。
もし明日予想以上の増収が発表されれば
買い方は完全にトドメを刺されることになる。
むしろこの発表で大きく突っ込む場面があれば
絶好の買い場となるのだが、
案外下値も乏しいのではないか。
それだけにあつかいにくい今年の相場である。
証券界でも年内無相場観が強まっている。
商品相場も見渡したところ
年末までに活躍しそうな銘柄は見あたらない。
越すに越されぬ年末を、なんとか越して
来年に期待をつないだ方が賢明なようである。
●編集部註
タクシー料金はこの年の一月に一七〇円から二二〇円に。
更に十一月には二八〇円と一年で二度値上がりしている。
【昭和四九年十二月十四日小豆五月限
一万六四九〇円・一八〇円安
/東京一万六五一〇円・二〇〇円安】

円安一服15日解け合い 外資買い戻し渋り2万円持ち越し (2016.12.16)

円安を手掛かりに続伸。日経平均一時183円高。当面のクライマックスを見た。1年振り0.25%米利上げのほか、来年3度利上げ見通しも伝えられ、1ドル117円台後半の円安。前日NYダ118ドル安と刺し違えた。

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忘れた頃にやって来る 大相場も (2016.12.15)

昭和の風林史(昭和四九年十二月十四日掲載分)
想いばかりがただただ燃える
強気することも出来ず、
また安値にきて売ることも出来ず
想いばかりがただただ燃える。
「雑炊や田舎の夜は寝るばかり 今夜」
古品小豆が北海道に、およそ三十八万俵ある。
このうち二十七万俵はホクレンが抑えている。
この分が定期市場に売りつながれる相場は重い。
ホクレンは小袋入りでも販売しているが、
量的にさばくには、
やはり定期市場を利用するしかない。
山梨商事の霜村昭平氏が、
強気しようにも強気できない理由として、
買えば買うほどホクレンが売りつないでこようから、
強気になれない―と。
確かにそれはいえるかもしれない。
ホクレンを向こうにまわして、
買い上げ機関のようなことになっては尨大な資金が要る。
師走も押し詰ろうというのに、
市場に活気がまったく見られないのも、
仮需要が湧かない背景があるからで、
これだけは人為的にどうすることも出来ない。
また17日発表の数字も、ここにきて
九月1日現在の数字より増大するらしい
―という見方が、淋れた市場をさらに閑にしている。
こうなると、因果玉の投げが、薄商いの市場で値段を崩し、
崩れた値段が新たな投げを誘発する。
いうところのチンタラ相場である。
しかし、
下値の限界としては生産者価格、輸送コストなどあって、
五月限基準の一万六千五百円が一杯の抵抗ラインであるから、
あえてこれを叩くわけにもいかない。
期近三本にしても九月28日、十月23日、十一月30日と、
やはり止まる水準では止まっているだけに、
このあたり以下は弱気出来ないという気分がある。
積極的な強気も出来ず、
さりとて安いところを弱気するのも心もとない。
どうしても様子を見ることになるから商いは閑になる。
まあ、これも相場というべきか。
売るべし、買うべし、休むべし。
橇の鈴さえ淋しく響く
雪の曠野よ町の灯よ一つ山越しゃ
他国の星が凍りつくよな国境。
明日に望みがないではないが
頼み少いただ一人
赤い夕日も身につまされて
泣くがむりかよ渡り鳥。
行方知らないさすらい暮し
空も灰色また吹雪
思いばかりがただただ燃えて
君と逢うのはいつの日ぞ。

●編集部注
天災は、忘れた頃にやって来る。
大相場も、忘れた頃にやって来る。
平成二八年一~三月、
小豆相場日足は八〇〇〇円以下で
絵の下手な小学生が
クレヨンで横線を描いたような動きであった。
年末に悪天候等で
一万一〇〇〇円を超えていると誰が想像しただろう。
【昭和四九年十二月十二日小豆五月限
大阪一万六八七〇円・七〇円高
/東京一万六九四〇円・一二〇円高】